野間散策・源義朝悲劇の地

野間地図

大御堂寺

野間大坊内にある大御堂寺。堂々とした構えで見事なものである。ここは、源頼朝が堂塔伽藍を再建し、父義朝のために、僧千名をおいて千僧法要を行った。境内には頼朝が再建した大門と鐘楼堂もある。そこでは他の参拝客が写真を撮っていた。今まで巡礼してきた中で初めて見た光景に少し、ほっとした気分になった。

 

本堂の裏には血の池がある。ここは、長田忠致が源義朝の首を洗ったとされている史跡である。ここは心霊スッポトとして話題になっているが、今日はそんなことも忘れて歴史の深さにただただ感激しているだけだった。

 

 

血の池

乱橋

小川が流れていてそこに乱橋(みだればし)橋がかかっている。この橋は平治2年(1160)正月に義朝が殺された知らせを聞いて家臣たちが湯殿に駆けつける途中、長田の家臣とこの橋の近くで戦いになったためその後乱橋という名前がついた。昔はこの辺りには大きな川があってそこにかかっている橋のうえで戦いがあった。今でこそ、ほんの5m程度の橋だが昔は大きな橋だったらしい。

 

湯殿とは源義朝が殺された場所である。平治2年(1160)に京都平治の乱で平清盛に敗れた源義朝が関東へ逃れる途中に長田屋敷に泊めてもらい正月三日の初湯に招かれ、入浴中に殺されたとされている。そこには源義朝の像が奉られ今でも参拝者が絶えないという。私は自分が住んでいるこの野間にこんな歴史がある史跡があることも知らず少し恥ずかしくなった。 湯殿
千人塚

千人塚とは乱橋で長田の家臣と源義朝の家臣が戦ったときに多くの死者を出したためその死体を埋めた場所だとされている。草むらのなかにあるが実に趣深いところで、そっと両手を合わし、この場所を後にした。

 

国道を横断し海から離れる。美浜町奥田野間、伊勢湾が一望できるのである。そもそもこの公園は野間の細目地区の人々の手作り公園で知る人ぞ知るといった穴場スポットである。昼間は三重まできれいに見渡すことができ、夜は町の明かりによって知多半島がくっきりと映し出される。その光景は想像がつかないくらいすばらしい。また、手作りの公園ということもあって温かさがある。これはデートに使えるぞと思いつつ次なる目的地に足を運んだ。 美浜町奥田野間、伊勢湾
吉祥寺夢違観音 49番所吉祥寺に着く。吉祥とは仏教用語でめでたいと言う意味を持つ。本堂には夢違観音を奉っている。この観音様は悪夢をいい夢に変えてくれるという言い伝えがあり、参拝客が絶えない。

56番所瑞境寺に立ち寄って見ることにした。この瑞境寺は奥まった台地の上にある。もちろん本堂まではまた坂を登らなければならない。この散策で坂を登るのは何回目だろう。もうそろそろ体力の限界。本堂は折衷様で堂々とした瓦の線が美しい。山門は薬医門造りである。別に大師堂があり平成七年に新築されたばかりで立川流唐獅子の彫刻が見所られる。

 

瑞境寺
蜜蔵院 52番所の蜜蔵院である。観音堂に如意輪観音をまつる。俗にかじとり観音と呼ばれている。かじとり観音と呼ばれているのは昭和19年7月に小笠原沖を航行中の御用船が海難事故に遭い、船長以下7名が救助船で脱出して、黒潮の流れに逆らって伊勢湾に漂着したとき船長が如意輪観音を信仰していたために無事たどりついたとだれているからである。