半田

1.運河周辺
 酢の香り漂う源兵衛橋からは数軒の醸造蔵と運河を見ることができます。運河沿いを南へ行ったところが半田港になります。港の様相は大きく変わってしまいましたが、日本通運の古い倉庫や造船所が当時の面影を伝えています。1940年ごろには「姿三四郎」(黒沢明監督、藤田進主演、大河内伝次郎出演)の撮影がミツカンの醸造蔵付近で行われました。

運河に近い醸造蔵
酢蔵

2.博物館「酢の里」・酒の文化館 
 19世紀初頭に酢造りを始めたミツカンの企業博物館が「酢の里」です。現在も使われている工場の一部と展示室から構成され、昔と今の酢造りの工程や酢造りの歴史がわかりやすく展示されています。半田市立博物館にも酢造りの道具と醸造場(復元)の展示があります。酒の文化館は「国盛」で知られる中埜酒造の酒蔵を改造したもので、機械化が進む前の酒造りの道具が数多く収蔵されています。

3.JR半田駅 
 JR半田駅の跨線橋は1910年(明治43)11月に完成した現存するJR最古の跨線橋です。レンガ造りの駅灯室も翌年の竣工で、武豊線の歴史を物語ります。駅前には「知多酪農發祥之地」の碑が建っています。19世紀末には現在の半田駅前には牛乳製造販売の愛養舎(明治17年創業)の牧場が広がっていました。現在もその名を伝える喫茶店があります。

4.JR半田駅東側の町並
 半田駅の東側の「銀座商店街」付近が江戸時代以来の半田の繁華街です。風景や賑わいはかなり変わっていますが、本町通りやその周辺には古い建物もいくつか残り、そのおもかげをとどめています。日本建築では料亭旅館「末広」や松華堂が代表的なものです。洋風建築では、同盟書林本店や日の出食堂・旧中埜銀行本店などがあります。日の出食堂や旧中埜銀行本店は、交差点にむけて敷地の角に入口が作られ、大正〜昭和初期に特徴的な造りになっています。歓楽街への通り道にかかっていた思案橋も残っています。カガシヤは新美南吉が通った喫茶店です。半田商工会議所北側の路地や山之神社境内では朝市が開かれます。

朝市
三八市の風景

5.名鉄・JR間の町並 
 JR半田駅の北西側には、洋風建築では中埜クラブ(旧知多白木綿組合会館)・新美眼科医院旧館、日本建築では半田糧友事務所などの特徴ある建物があります。

 

罫線

中埜クラブは1925年(大正4年)竣工で、1・2階を貫く正面の円柱が特徴です。新美眼科医院旧館は1915年(大正14年)竣工、玄関にバルコニーのついた、淡いピンクの建物です。この一角には通称「紺屋街道」が通り、点在する蔵や常夜燈など、なかでも順正寺から摂取院にかけての路地などが、古い半田の雰囲気を伝えています。摂取院には江戸時代から明治にかけて寺子屋が開かれ、寺子屋の弟子が師匠を偲んで建てた筆子塚があります。龍台院には伊勢湾台風の犠牲者がまつられています。名鉄の線路付近から東側の平地には昔は醸造用の水をくみ上げる井戸が多数掘られていました。井戸から醸造蔵へ運ぶ途中で水がこぼれるので、半田の町を歩くときは下駄を履いて歩けといわれたほどでした。駅前は再開発や宅地化が進み、井戸は減っていますが、今でもいくつかの井戸を探し出すことができます。

半田の路地
路地の店先

6.旧カブトビール半田工場 
 1898年(明治31)に建てられた地上5階、高さ18mで、現存するレンガ造の工場としては最大級のものです。この工場では、本格的ドイツ風ビール「カブトビール」が醸造され、その名は全国に知られていました。第二次世界大戦時には、中島飛行機の倉庫として使われ、工場北側の外壁には被弾跡が残っています。

旧カブトビール半田工場
旧カブトビール半田工場

7.旧中埜家住宅
 1911年(明治44)にドイツの山荘を模して建築された洋風建築で、国の重要文化財に指定されています。白い壁に幾何学的な線を描く化粧柱と手割りのスレート瓦の三角屋根の外観が特徴的です。内には暖炉・腰羽目・飾り棚などがあり、建築当時の姿を見ることができます。半田を代表する実業家の一人である中埜半六の別邸として建てられ、会合や接客に用いられました。建築当時は衣浦湾を望むこともできたといわれています。現在では喫茶店として活用されています。

旧中埜家住宅
旧中埜半六邸