亀崎

1.神前神社
 神前神社は亀崎の氏神です。社殿は海に向かって建てられていて、海から見ると、幅の広い石段の上に鎮座する社殿をはっきりと見ることができます。江戸時代には神前神社の前を通る船は、帆を下げたり、帆綱に手をかけて敬意を表したといわれ、境内には廻船関係者からの奉納物も見られます。春の潮干祭では、鳥居前でからくり人形が奉納されます。神前神社より少し西側の国道247号沿いに秋葉山の常夜燈があります。ここは衣浦大橋ができるまで、亀崎と三河松江(碧南市)をつなぐ渡船の発着場でした。

神前神社
神前神社

2.旧道沿いの町並 
 亀崎の町を貫く道沿いには、昭和初期に拡張された当時の亀崎を感じさせる雰囲気が残っています。古い建築物は久栄丸呉服店や梅村政男家など数少なくなりましたが、二階の手すりなど、細かいところに意匠をこらした建物が多く残っています。潮干祭の山車もそれぞれの蔵に分解されて収納されていますが、その蔵のなかでは石橋組・中切組のものが比較的古いといわれています。現在、博物館明治村に移築されている東湯は、神前神社の近くにあった銭湯です。東湯は明治末期に建てられた、間口三間ほどの小じんまりした建物です。湯からあがった人々は、二階にあがり、囲碁や将棋を楽しんだようです。銭湯が、娯楽場としてまた憩いの場であった時代のことです。かつて、亀崎には「相生座」「千歳座」などの劇場があったことも知られています。少し山手の亀崎常盤町方面には亀崎の有力者たちの居宅や別荘などが残っています。

3.望洲楼 
 1855年(安政2)に商人宿「中口屋」として創業されました。「中新」「望洲楼」と名前をかえ、料理旅館として発展しました。創業当時は道の海側に店を構えていましたが、その後移転して道の山側に斜面を利用して古い座敷が配置されています。玄関から最上階までの高低差は25mもあり、料理などを運ぶ木製リフトがつけられています。酒造業の最盛期には東京の酒問屋なども利用していたといわれています。

4.秋葉神社
 秋葉神社は、遠江国周智郡の秋葉山にある火除けの神をまつった神社です。18世紀後半に二度の大火が亀崎の町を襲ったこともあって、この地に勧請されました。社殿は1841年(天保12)の創建で、山車彫刻で知られる立川流の立川和四郎の作といわれています。社殿の前からは対岸の高浜市や碧南市が目の前に見え、三河との近さが実感できます。

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5.路地の井戸と地蔵
  表通りにつながる細い路地を歩いてみると、多くの井戸と地蔵が目につきます。井戸は現在でも共同利用・個人所有あわせて10ヶ所以上は確認できます。酒造りの仕込み、潮干祭の衣装の洗濯などにも使われました。地蔵は一時は150近くあったといいます。里地蔵、半七地蔵、中町地蔵などの地区の地蔵もあれば、個人の家の守り・厄除けとして鬼門の方向にまつられている鬼門地蔵もあります。特に鬼門地蔵が、これほど多く個人の家で受け継がれ、まつられている例は全国的にみても珍しいといえます。

路地の井戸と地蔵
路地入口の地蔵

6.酒蔵 
 尾張三社前に、伊東合資会社と天埜酒造株式会社の酒蔵が並んで建っています。18世紀後半から続いた伊東合資会社が休業となり、現役の酒蔵は天埜酒造一つとなりました。江戸時代後期から明治初期にかけて、知多半島は上方に次ぐ酒造地域であり、なかでも亀崎には50軒余を超す酒蔵があり、半田と肩を並べるほどでした。天野酒造裏手の天野酒造社長宅にある洋館は、明治20年代に建てられたものですが、建築当時から水洗式のトイレがあり、建築史の貴重な資料となっています。酒造りが盛んだった半田・亀崎には数多くの桶・樽職人がいましたが、今では亀崎に一軒を残すのみで、その最後の一軒の仕事場が亀崎町8丁目にあります。

7.亀崎駅駅舎 
 現在の亀崎駅の駅舎は武豊線開業時の1886年(明治19)に建てられたもので、現在使用されているJRの駅舎としては最古のものです。駅舎に接したところが昔のホームで、現在では一部が駐輪場として使われています。