歴史と町並み
古い知多半島の地図 江戸時代の知多半島

●歴史からみた知多半島
 現代の私たちは「知多半島」といえば、新鮮な魚、海水浴やマリンスポーツ、温泉などに代表される、海に囲まれた自然に恵まれた土地をイメージします。たしかに、知多半島には、名古屋からそれほど離れていないにもかかわらず自然が残り、私たちの生活にさまざまな恩恵をもたらしてくれています。しかし、歴史的にみると、知多半島に暮らす人々は、自然条件を活かした漁業や農業などだけではなく、さまざまな産業を生み出して、生業としてきました。

●「ものづくり」半島
 知多半島での「ものづくり」の歴史は古代にさかのぼります。知多半島で作られた塩は古代の都であった平城京(奈良)や平安京(京都)へ運ばれていたことが知られています。
 12世紀初頭には常滑焼の生産が始まります。常滑焼は瀬戸焼・信楽焼・備前焼などと並び、中世に栄えた六古窯の一つに数えられています。常滑焼の古い窯は2〜3000基にのぼると推定され、古くは知多半島全域で焼物が作られていて、燃料となる雑木類は刈り尽くされたともいわれます。
 江戸時代は経済発展がめざましかった時代です。とくに、18世紀半ば以降になると、日本各地で特産品が生まれてきます。知多半島も例外ではありません。木綿は三河・伊勢とともに一大産地を形成していました。酒も、江戸と灘・伊丹などの上方の酒どころとの間で造られた酒という意味で「中国酒」と呼ばれ、江戸では上方の酒に次ぐシェアを占めていました。中埜又左衛門が造り始めた酢は、にぎりずしの流行にのって人気を博しました。

酢造りの蔵がたちならぶ
半田運河
赤いレンガの旧カブトビール
旧カブトビール半田工場
●進取の精神と創意工夫
 その中埜又左衛門が造った酢は、米とは違い酒粕を原料とするところに特色がありました。酒造りが盛んだった半田や亀崎では、酒と同時に大量の酒粕が生み出されました。その酒粕から酢を造ることによって、酒・酢の醸造はまったく無駄がでない産業になりました。酒造りの過程で出てくる糠は肥料に、酒粕は酢の原料や肥料に、酢を絞って残る酢粕も肥料に、とすべての廃棄物が再利用されるようになったのです。
 また、明治にはいると、新しい製品も作り出されます。その一つがビールです。明治10年代後半から試行錯誤が繰り返されて、本場ドイツの技術・機械を導入した半田の丸三麦酒株式会社の「カブトビール」が20世紀初頭には全国5位のシェアを占めるようになります。まだビールが高級な飲み物だった時代です。同じころ荒尾村で生産され始めたのがトマトケチャップです。トマトケチャップは日本風にアレンジされた洋食の普及とともに、生産量を増やしていきました。ビールといい、ケチャップといい、日本人の生活が西洋化するなかで、新たな需要を見込んでの新商品への挑戦でした。
 ただ、ビールもトマトケチャップも「逆境」から生まれた新商品です。ビールは低迷する知多酒造業の打開策の一つとして着目されたものです。ケチャップも、売れ残ったトマトの処分に困り、西欧にならって調理用ソースとして加工したのが始まりです。
廻船の絵
尾州廻船の絵馬
樽工場の様子
味噌づくりの桶

●「ものづくり」を支える条件
 これら知多半島で生産されたものは、いずれも知多半島や東海地域だけで消費されるものではありませんでした。中世の常滑焼は、平泉(岩手県)や福原(兵庫県)でも発掘されています。江戸遺跡からも数多くの常滑焼の製品が見つかっています。木綿も酒も酢もその主な市場は、当時世界最大の都市であった江戸でした。

 知多半島でつくられた製品を江戸へ運ぶのに重要な役割を果たしたのは船です。江戸時代においては船が物資輸送の主たる手段でした。知多半島は海に囲まれた半島だけに、古くから伊勢湾内やその周辺への船の往来が活発でした。それらの船はしだいに大型化して、上方・瀬戸内方面や江戸方面へ遠距離航海を行うようになります。廻船は知多半島産の製品を運ぶと同時に、原材料やその他の必要な物資をもたらし、廻船と知多半島の産業は密接な関係にありました。18世紀後半には知多半島は廻船の一大拠点として知られるようになり、その後の約1世紀にわたって知多半島の廻船は、日本全国の物流のなかでも大きな役割を果たすようになります。
 知多半島で産業が栄えた背景としてもう一つ考えられるのは、知多半島の持つ技術力です。知多半島には桶屋・樽屋をはじめ、船大工や鋳物師・鍛冶屋、黒鍬(土木技術者)などが数多く存在していたことが知られています。これらの人々がものづくりに必要な設備や道具の供給を支えていたのです。

 古代以来の歴史を持ち、19世紀に大きく花開いた知多半島の産業ですが、近年では、酒造業や織布業のように、廃業してしまうケースも少なくありません。しかし、いまだに「現役」でがんばっている企業もあれば、産業で栄えていた時代を思い起こさせるものも数多く残っています。単に自然だけではなく、そうした歴史を感じさせるところが知多半島の特徴であり魅力であるといえるのではないでしょうか。