武豊

1.中定商店
 小迎の信号から東にはいると中定商店があります。中定商店は明治初年創業で、味噌・溜りの醸造をおこなっています。昔は塩を貯蔵していた蔵を利用して「伝承館」が設けられていて、古い道具などを見ることができます。なかでも醤油を搾り出すときに用いる槽(フネ)は、動かすことができ、実際の道具の使い方を体験できます。中定商店の東側の道沿いには、神谷歯科医院など古い建物もあり、川久料理店は古くは「煙波楼」と名乗る料亭で、この付近も武豊の古い時代を感じさせる雰囲気が残っています。

中定商店
中定商店

2.国道247号沿の建築物 
 字ヒジリ田の武豊線踏切付近から里中交差点にかけての国道247号沿いには、吉沢商店・ユタカフーズ・山田屋・旧中埜銀行武豊出張所など、武豊港で栄えた時代の雰囲気を伝える建物が散在しています。また、伊賀屋酒店に掲げられている酒の古い看板や、「開港屋」「海軍堂」などの商店の名前にも時代が感じられます。現在、武豊橋が架かっているところは小さな港で、武豊港からここまで小型の船で大豆などが運ばれて荷揚げされました。

国道247号沿の建築物
ユタカフーズ洋館

3.堀田稲荷神社 
 諸願成就の神として東海一円の人々の信仰を集めています。絵馬堂には1810年(文化7)奉納の算額が残されています。鳥居前の狐像は1914年(大正3)に武豊町の海陸荷物取扱所・大栄社や半田町の中埜又左衛門・小栗三郎ら、坂井・大谷の漁業関係者などが奉納したものです。

4.武豊港駅跡
 1886年(明治19)創業時、武豊線の終点は武豊港駅で、現在の里中交差点・中山製鋼所のところにありました。現在の武豊駅から里中交差点までのゆるやかなカーブを描く道がその線路跡です。
武豊港駅はいったん廃止されますが、1930年(昭和5)貨物専用の武豊港駅として復活、1965年(昭和40)まで利用されました。旧武豊港駅の場所には武豊停車場跡地の碑と蒸気機関車の向きを変える「転車台」が残っています。現在の武豊駅前には、1953年(昭和28)、13号台風から客と列車を守るために殉職した高橋職員の像が建っています。

武豊港駅
高橋職員の像

罫線

5.里中交差点付近の醸造蔵 
 武豊の主要産業は醸造業(味噌・溜り)ですが、現役の蔵は10軒に満たないといわれています。その数少なくなった醸造蔵は里中交差点の西側に密集しています。里中交差点から路地に入っていくと、泉万・カクトウ・伊藤商店・南蔵醸造などの蔵が並んでいます。古い蔵の中には木桶がいまだに使われているところもあります。武豊線廃線跡の道の北側には丸又商店があります。丸又商店は1843年(天保14)創業で、武豊町内では最も古い醸造元です。丸又商店の間の路地には懐かしい駄菓子屋さんもあります。

駄菓子屋の様子
駄菓子屋・服部商店

6.鳳翔閣跡 
 現在の町役場の場所は、役場建設以前は長尾山(標高32m)があり、幕末期には異国船に備えて烽火台が置かれていた場所です。1887・90年(明治20・23)の陸海軍連合演習が行われた際には、明治天皇や皇族の休憩所として長尾山に鳳翔閣が建築されました。それを記念して武豊町役場の前庭にその碑が建てられています。

7.武豊町歴史民俗資料館
 産業の町・武豊を、味噌・溜業、鍛冶屋・下駄屋・紺屋などの製造の場の復元展示とともに、産業発展の基盤である交通網(廻船・武豊港・武豊線)について、コンパクトにわかりやすく展示されています。

武豊町歴史民俗資料館
味噌・溜醸造場の復元模型

8.長尾の町並み
 高台に建つ皆満寺は、埋め立てが進むまでは門前の石段下がすぐ海で、「臨海閣」ともいわれました。今でも山門に立つと武豊港まで見通すことができます。鎮守・武雄神社は岩田氏が代々宮司を勤め、戦国時代末には千引廼舎という寺子屋を開いていたことが知られています。皆満寺東側の三井家(長尾村庄屋)、武雄神社北側の坂田家などは、坂道に面した石組が印象的な造りとなっています。坂田家は現在の武豊小学校の前進、長尾学校・長尾小学校として1899年(明治32)まで使われていました。

長尾の坂道
長尾の坂道