知多半島の地形・地質とその生立ち3

●知多半島構成層の堆積期における伊勢湾周辺地域
 半島構成層と同時代の地層は,伊勢湾周辺の各地にもあり,それぞれ調べられています.それらの資料も加え,当時の様子をみてみましょう.
師崎層群の時代 これは2000〜1500万年前のことです.伊勢湾付近から浸入した海は,東は長野県南部まで達し,西は紀伊半島を横切って瀬戸内海とつながっていました.その海に堆積した地層が師崎層群です.当時,日本列島はユーラシア大陸の一部でした(図6).大陸の東縁に割れ目が生じ,広がってできたのが日本海(日本海の拡大,約1500万年前)です.割れ目の拡大とともに,太平洋側に押し出された大陸東縁部が日本列島になりました.
常滑層群の時代 その後の800万年間は詳しくわかっていません.約700万年前になって,知多南部に凹地(堆積盆地)が生まれ,堆積が始まりました(図7).堆積盆地は,その後の約500万年間に北東と南西に拡大し,200万年前頃からは縮小しつつ北西に移動して,80万年前頃に消滅しました.ここに堆積した地層が常滑層群です.知多のほか,名古屋東部丘陵や三重県側にも丘陵をつくって露出しており,これらをまとめて東海層群,その堆積盆地を東海湖とよびます.この時期,知多半島はまだできておりません.
武豊層の時代 常滑層群の堆積から武豊層の堆積開始までの間,日本列島は現在よりずっとなだらかな地形であったようです.その後,中部山岳が隆起を始め,礫が供給されて武豊層となります.武豊層堆積後に半島が生まれますが,起伏の大きな現在の地形が,この頃からでき始めました.
段丘形成の時代 100万年ほど前から,寒冷期(氷河期)と温暖期(間氷期)の繰り返しがはっきりしてきました.寒冷期には南極や高山の氷河が拡大し,液体の水が少なくなりますので,海面が下がります.温暖期には氷河が融けて海水が増えますので,海面が上がります.こうして100〜150mの範囲で海面が昇降します.これを氷河性海面変動といいます(図8).
 段丘形成の時代から,影響がこの地方にも現れ始めます.温暖な高海面期には濃尾平野の奥深くまで海が浸入し(海進,図8),海水に浸された区域では海底に粘土層(海成粘土層)が堆積します.いっぽう,寒冷な低海面期には伊勢湾の沖合いまで海が退き(海退,図8),干上がった濃尾平野や伊勢湾には河床礫がばら撒かれて,砂礫層が堆積します.知多や上流側は侵食されます.こうして堆積と侵食を繰り返すなかで,高海面期や,海面低下過程で海面が一時的に停滞する時期に,数段の段丘が形成されました.
 現在は海面の高い時期です(図8

●おわりに
 知多や周辺の地層から得られた種々の情報をもとに,当時の様子など述べてきました.地層を調べることは,華やかさがあまり無く,地味な仕事ではあります.しかし,得られる成果は,上述のように,結構スケールの大きな問題に発展していくのです.
 もうひとつ重要なことがあります.
それは,人間による記録の無い時代の情報は,理論的研究を除けば,地層を調べることによってしか得られない,ということです.地層を調べるということは,地球の歴史という分厚い古文書,それも暗号で書かれた古文書の1ページ1ページ(地層の1枚1枚)を,解読していく作業といえるでしょう.

注)不整合;下位の地層が堆積し,上位の地層が堆積するまでの間に,長い時間間隙をはさむ場合,ふたつの地層の重なる関係を不整合という.この間隙に,下位層は侵食されたり,地殻変動をこうむったりする.不整合でない場合は整合.