半田
半田は湊を中心に発展してきた町です。半田の湊は、江戸時代初期に幕府の保護を受けて整備されました。湊付近には戦国期から船作事場があり、ここを拠点とする大小の船が伊勢湾内外を結んで活動していました。18世紀後半になると、酒や酢の醸造が盛んに行われるようになりました。酒や酢は、対岸の大浜で造られる味醂とともに、衣浦湾沿岸の廻船で江戸に大量に運び込まれ、名声を博しました。それにつれて、表通りには蔵や商家が立ち並び、路地裏には廻船業や商業・醸造業に従事する人々が集住する、知多半島で最も繁栄した町といわれるようになりました。江戸時代に蓄積された資本は明治20年代ごろになると新たな産業へも投下され始めます。味噌・溜など他の醸造業に酒造業から転業するケースもあり、またドイツから技術を導入してビールの生産も行われ、日本有数のビール会社となりました。紡績業でも知多紡績株式会社が設立され、知多木綿の一大生産地となりました。それとあわせて、銀行や倉庫会社などもできて、知多半島の経済の中心地ともなりました。第二次世界大戦時には海岸沿いに建てられた工場のなかには、軍需工場として買収されましたものが数多くありました。また中島飛行機などの軍需工場も誘致され、半田は軍需産業の町となり、学徒動員された学生や連行された朝鮮の人々などが多数働いていました。半田から乙川にかけては空襲も含めて、戦争の痕跡が数多く残されています。