亀崎

現在は衣浦湾西岸の海岸線は亀崎からそのままゆるやかにカーブしながら、境川河口へと続いていますが、亀崎の集落は海岸線に沿って形成され、集落背後の丘の北側は入江になっていました。亀崎は衣浦湾につきだした「崎」だったのです。戦国期にはすでに漁業の町として知られ、江戸時代初期に打瀬網による漁法が伊豆から伝えられ、明治期まで海老漁などが盛んに行われていました。漁業のほかにも、廻船業、19世紀以降は酒造業が発達して、知多半島内でも最も経済的に繁栄した町の一つでした。こうした産業によって蓄積された資本を基礎に、明治半ば以降には亀崎紡績・亀崎鉄工所などの企業が数多く誕生しました。亀崎の繁栄ぶりを今に伝えるのが5月に行われる潮干祭です。潮干祭には、各部に精密な彫刻、幕に豪華な刺繍が施された山車五台(宮本車・青龍車・力神車・神楽車・花王車)が出ます。祭りの見どころの一つは、山車の海への曳き下ろしです。海岸沿いの国道247号には伊勢湾台風後、高い防潮堤が設けられましたが、この山車の曳き下ろしのために、防潮堤の一部分を通行できるようにして、人工の砂浜も復元されています。亀崎漁港は今ではヨットハーバーに姿をかえて、年末年始に行われるヨットのライトアップは知多半島の冬の風物詩の一つになっています。

潮干祭
潮干祭

ヨットハーバー
ライトアップされた亀崎港