常滑
 常滑焼の始まりは平安時代末の12世紀初頭までさかのぼります。古くは知多半島の丘陵部の広い範囲に窯は分布していました。それが、14世紀後半には現在の常滑に集中するようになり、焼き物の特産地・常滑が成立しました。それ以来現在の焼き物散歩道のコース周辺が焼き物生産の中心地でした。しかし、近年の周辺の宅地化にともない、現在では本格的な窯は町の中から姿を消しつつあります。その一方で、陶芸作家のギャラリーなど、一般の人が気軽に入れるところも焼き物散歩道には増えてきています。鉄道が発達するまで、この常滑焼を全国各地に運んだのは船です。常滑はもう一つ湊と廻船の町の顔を持っています。江戸時代後期には、常滑の廻船主は常滑・北条・多屋などに居住していて、常盤講という組合を作っていました。常滑船の荷物は「拾い荷」といわれ、実に多種多様です。常滑焼、米、水油、傘、大根……。常滑船は伊勢湾に入ると常滑のほか桑名・四日市など伊勢湾奥部にある各湊から荷物を集めて積み込みます。常滑船の「拾い荷」は濃尾平野の高い生産力を反映したものなのです。