知多半島の地形・地質とその生立ち2

●知多半島の形成
 地層から得られた情報をもとに,半島の形成についてみてみましょう.図4はそれが象徴的に現れている露頭(地層が現れている崖)で,常滑市の檜原大池の北でかつて観察できました.上位に武豊層,不整合(注)面の下に常滑層群があります.図の左端部で両層が傾斜しており,その程度は常滑層群の方がやや大きくなっています.そしてこれらが2本の断層で切られていますが,いずれも,左側のブロックが右側にのし上げる逆断層です.とくに断層Aは武豊層を切っています.したがって,この露頭からは,
@武豊層堆積前に,常滑層群がゆるや
 かに傾斜する褶曲運動.
A武豊層堆積後に,両層が一体となっ
 て傾斜するやや激しい褶曲運動.
Bその後に起こった激しい断層運動.
という,時期のちがう3種の地殻変動が検出できます.とくに,武豊層堆積後に激しい変動が起こっています.
 そこで,改めて,武豊層をチェックしますと,半島脊梁の最高部をつくり(図2),砂礫を主とする(図3)河床の堆積物です.砂礫は北西方向から供給されたことがわかっています.つまり,武豊層堆積期には半島部は川原となっており,北西から南東に流れていました.半島の北西側は伊勢湾や濃尾平野で,現在は低くなっていますが,当時は半島脊梁部より高かったのです.ということは,伊勢湾・濃尾平野や知多半島は,まだできていなかったことになります.いっぽう,段丘構成層は,現在の海岸線に沿って分布しますので,段丘層形成期には,すでに半島の輪郭ができていたことになります.
 このことから,半島をつくる地殻変動は,武豊層の堆積後で,段丘の形成前に起こったことがわかります.その時期は数10万年前のことです.  
 では,その地殻変動とは何か? それが活断層の活動なのです.知多半島は,濃尾平野とは天白河口断層,伊勢湾とは伊勢湾断層で境され,いずれも活断層です.これらの活断層が活動する,つまり地震を起こすと,知多は少し隆起し,濃尾平野・伊勢湾は少し沈降します.これを数10万年の間,何回も繰り返して,知多半島や伊勢湾・濃尾平野ができ上がりました.
 なお,ふたつの活断層については,阪神大震災以降,詳しい調査によって活動性の評価がなされ,公表されていますので,ここでは省略します.
 以上をまとめたものが,図5の地史年表です.主なできごとの欄には,ほかのことも書かれていますが,つぎに,そのことをみていきます.

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